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札幌市東区:昔と今

1960年代の札幌市東区

 

札幌市東区1960

 

1960年代、札幌市東区の航空写真です。
私が通った幼稚園か小学校から生徒にもらったものだと思います。
この当時から半世紀が経った札幌市。本当に景色が変わりましたね。

 

写真上部の川が、札幌市の中心を流れる豊平川です。
川の手前が東区で、川の向こうが白石区。
私が子どもの頃は、豊平川を渡る橋がまだ少なく、遠回りして白石区に行ったのを記憶しています。

 

 

苗穂工場

 

左上の黒ずんだところは、写真のシミではなく、雲の影です。
このあたりから右側にある広大なスペースが、北海道の鉄道の要「苗穂工場」。
汽車、列車の整備はここで行われています。

 

ちょうど雲の影辺りに、国鉄社員の官舎が集落のようにあります。
中学1年生、我が家の建て替えの時、一時期住んでいたことがありますが、ポットン便所のいわゆる長屋でした。
小学校の同級生は、結構ここに住んでいました。

 

建て替え中の通学は、中学校まで徒歩で片道30分位かかりました。
自転車通学は禁止だったため、長屋(官舎)から家を建てているところまで自転車で行き、そこからは徒歩で中学校まで通い何とか通学時間を短縮していました。
マジンガーZが少年ジャンプで連載している時、ということが強烈に印象に残っています。

 

 

札幌村

 

この当時から東区は人口が多く、札幌市営バスの路線番号も「1」番でした。
札幌村」があったためだと思います。
現在ある札幌村郷土記念館の前の細い道がバス通りで、丘珠まで続いていました。

 

我が家も確認できます。(多分これだろうと思うところですが)

写真の左下以降の景色は玉ねぎ畑ばかりの時代です。
人口が密集しているところと、畑ばかりのところと、東区は広いですね。

 

 

母校

札幌市東区1960

▲写真中心部分を拡大

 

拡大写真の右下の広くスペースが取ってある所が、我が母校「札幌光星高等学校」です。
小学校や中学校より、高校の方が我が家からの通学時間が一番短くなりました。
子ども時代は、ここの存在すら知らなかったです。

 

その左上の木々がある所が「大覚寺」で、さらにやや左上が母校の「札幌市苗穂小学校」が見えます。
その左隣に「希望公園」。よく遊んでいました。
冬になるとみんなでスキーをしていました。いい山があったからです。

 

 

環状通

 

札幌の大動脈、環状通はまだありません。
北15条通が環状通になるのですが、そのため大々的な区画整理があり、この辺の市民の土地は削られてしまいました。
我が家もそうでしたが、札幌村神社も区画整理のため場所を移動しました。

 

小学校の頃の北15条通は砂利道でした。
中学生の時は、環状通道路工事がずっと続いていて砂利道でした。
時々、砂利道の北15条通を歩き、光星高校に通う夢を見ます。
今の環状通の風景を夢で見たことがありません。もはや環状通は砂利道のイメージしかありません。

 

 

札幌市東区1960

札幌市東区2018

▲写真下、Googleマップより転写利用

 

Googleマップから現在の風景を切り取ってみました。
「札幌光星高等学校」「札幌市苗穂小学校」「希望公園」と、みな確認できます。
校舎は建て替えで形は変わっています。ほとんどの建物も変わっているようで畑はすっかりなくなりました。

 

主要道路に赤く線を入れたので、過去と現在の位置が確認しやすいと思います。

 

右のタテの線が「東8丁目篠路通(北光線)」。
左の斜めの線が「東15丁目屯田通」。
左右に走る線が「環状通(北15条通り)」です。

 

昔の写真と今の風景、重なりましたか?

 

昔の写真を見るとついつい見入ってしまします。

引っ越し準備の時、最もしてはいけない行動ですね。

 

 

 

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